主よ。お話しください

聞くことは私達のいのちです。神様はモーニングディボーションを通して私達に語ってくださいます。私たちが神の前に出るなら、神は毎日毎日語ってくださいます。同時に教会全体に語り、行くべき方向を示してくださいます。神様が少年サムエルを呼ばれた時、「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」と神様に答えました。神様は私達が少年サムエルのように素直で聞く心を持つように語っておられます。サムエルのような心をもって神の前に出るのなら、神は語り続けて下さいます。


どのようにしたら、神様の声を聞き、神についていくことができるでしょうか。神様の導きを聞く為に二つの注意すべきことがあります。一つ目は「自分の聞きたいことを聞く姿」です。士師記の混乱した時代、彼らは、祝福、守り、導き、勝利、信仰、希望の神を好み、自分の目と耳に良いと思った事だけを聞いました。実際に彼らが聞いているのは神様の声でなく自分の好む事であり、神から遠く離れる結果になったのです。私達も同じように聖書を読む時、肯定的で自分の益になる言葉に目が留まりやすく、裁き、罪、悔い改めなどから目を背け、耳を塞いでしまいます。モーニングディボーションでは、神の前に静まり、決まった章を何度か読み返し、個人的にあなたに語られた箇所を黙想し、その後、互いに分かち合います。このように聖書を読み込む力を訓練するなら神様が何を語ろうとしているかを聞くことができます。そして、講壇からは、教会全体に語られている事を、牧師が聖書の文脈、背景、聖書全体から解釈し、分かち合い「今日神様が何を語っておられるか」に耳を傾けます。このように神の言葉を聞くなら士師記時代の「自分の好むことだけを聞く」ような聞き方に陥らず、神の言葉についていくことができます。

神様の声を聞き、神についていくためにはどうしたらよいでしょうか。二つ目に注意すべきことは、「聞いた言葉に応答する」ことです。士師時代の最後に登場する人物は少年サムエルです。彼の名前は(シャマ・エル)と言い、「神のことを聞いた」という意味です。少年サムエルは、語られたことを聞き、即座に行動に移す素直な少年でした。その一方、少年サムエルを育てた祭司エリは、神の言葉を聞いたが、数十年も応答せずに放置し続けた結果、神の栄光は祭司エリから離れました。そして、神の栄光は、神の言葉を聞いて応答した少年サムエルと共にあったのです。神様は私にも少年サムエルのような耳をもって「主よ。お話しください。しもべは聞いております。」と祈りなさいと示してくださいました。この言葉の意味は、「主よ。聞いて従います。お話しください。」という意味です。私たちは少年サムエルのような、聞き従う心で神の言葉に応答しているでしょうか。多くの場合、「主よ。従うかどうかは、聞いてから決めます。」と言っていないでしょうか。私たちは、今日、少年サムエルのような心をもって、「主よ。聞いて従います。お話しください。」と祈り、神の語る言葉を聞き、神について行きましょう。ハレルヤ!

「サムエルは、『お話しください。しもべは聞いております。』と申し上げた。第一サムエル3:10」


2021.03.14 大阪ツリーオブライフ611チャーチ 主任伝道師 宮崎 出



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